dellblorin日記

袖擦り合うも他生の縁

犬の活け作りは許されるのか

昔TVで外国人が”日本の活け作りは残酷だ”という主張をしていたのを覚えています。我々日本人は小さい頃から活け作りを目にしていますから、それを残酷だなんて誰も思いません。しかし言われてみれば確かに残酷だなと感じます。生きている生物の肉をそぎ落とし、死なない様にしてもがき苦しむ様を活きが良いと楽しんでいるのですから。

そういった外国人に対して多くの日本人はこう思うでしょう。

「自分達の価値観と合わないという理由だけで悪と決めつけるのは独善的である」

私もそう思います。こういった話は鯨などでも同様でしょう、多くの白人社会では鯨は何か天の使いの様な特別な存在なのかも知れないが、日本ではそうではないし君達がそう思うのなら君達だけで勝手にやればいい、我々日本人には関係無い事だ、と。

そんな事を考えていてふと疑問が浮かびました、それは犬や猫の活け作りは許されるのだろうか?という事です。

食文化は多様であり一律に善悪を決められるものではない、その人達にとってそれが食べ物であるなら食べればいい、そう考えるならば犬食や猫食も認められるべきでしょう、例え日本人にとってそれが食べ物という感覚が無いとしても。
犬や猫が食材とすればその点で魚と同じになります。今活け作りといえば魚が使用されますが、ならば魚の代わりに食用の犬や猫を使用しても構わないのではないでしょうか。多くの日本人は犬や猫の活け作りにノーと言うでしょう。反対する人達は恐らく以下の様な事を言うと思います。

1 犬や猫は特別な生き物、魚なんかと一緒にするな
犬猫を特別視して魚という劣等な生き物と一緒にするなと怒る人がいるかも知れませんが、それは白人達の鯨と同じ事ではないでしょうか。彼らもまた鯨という偉大な生き物を牛とか豚と一緒にするなと怒るからです。そういった意見を否定して鯨を食べるのですから、今更犬猫に関して白人達の理屈を持ち出すのは不可能でしょう。

2 犬や猫は可愛い動物だから可哀想
可愛いか可愛くないかは食用にするかどうかとは直接関係ありません。

3 魚には痛点が無いからいいが、犬猫はあるため倫理的に許されない
痛点が無いというのはつまり痛みを感じないという事です。魚に痛点が無いというのは諸説ある様で完全に証明された話ではない様ですが、ここでは痛点が無いという前提で話を進めます。
魚に痛点が無いというのは最近の発見であって、活け作りが行われ始めた頃に知られていた事実ではありません。日本人は魚が痛みを感じているかどうかなんて気にしないで活け作りを行ってきたのですから、今更そんな事実を持ち出すのはどうかと思いますが、仮に魚は痛みを感じず犬猫は感じるから駄目というのなら、犬猫に全身麻酔をかければ良いでしょう。1時間も効く量を投与すれば十分です。調理後1時間もしない内に犬猫は絶命すると思われるからです。

4 法的に問題がある
日本には動物愛護法が存在しています。この法律が適用可能な”愛護動物”の中には魚は含まれていない様です(犬猫は入っている)。活け作りは人間にとって必要不可欠な食事ですからこれが処罰の対象になるとは考えにくいですし、使用するのもペット用ではなく食用の犬猫です。調理方法が問題だという人がいるかも知れませんが、それも長らく続いてきた伝統文化のため処罰の対象にするのは難しいのではないか?と思います。そもそもこの法律自体動物愛護法ではなく愛玩動物愛護法という感じがします。
法律というのはその内容に合理性があるから作られ施行されます。その合理性があるかどうかを考える時に法律で禁止されているから合理性は無い、というのは順序が逆である気がします。まあ所詮素人ですからはっきりとした事は分かりませんが。


私個人は現代日本の価値観の中で育ったため、普通の料理位は食べられるかも知れませんが流石に活け作りまでは無理そうです。しかし他人が外国から輸入した食用犬や猫を使い、活け作りをしておいしく頂くという事を批判、反対するのもまた無理そうです。