dellblorin日記

袖擦り合うも他生の縁

地震によって目覚めた不幸の拡声器達

今回の大地震で数々の災害が発生しましたが、災害だけではなく人災も発生している様です。問題は彼らの中には善行をしていると思っている人もいる事でしょう。

●不謹慎ファシズム
ネット上ではこんな事態で楽しむのは不謹慎だ!という論調が吹き荒れています。タレントのほっしゃん氏がツイッターで散歩をしたと呟き非難され、何かを食べましたという呟きには「食べたくても食べられない被災者がいるのに不謹慎だ」という批判が浴びせられている様です。
法的根拠も無いのに他人の行動を制限する事が立派な事なのでしょうかね。不謹慎という言葉の包み紙で隠しているだけで、本当は自分の気に入らない言動、行動を攻撃したいだけではないでしょうか。

辛い苦しい時こそ娯楽は必要であり、避難所などは何もなく退屈な場所です。今演芸番組の類を放送すればテレビ局は吊し上げられるでしょう、しかしこんな時だからこそ面白いものを被災者に届けて欲しいと感じます。ただ暗くする事が被災者を勇気づける事でしょうか、辛い時こそみんなで笑おう、これは不謹慎なのでしょうか。

●過剰な防災意識
地震が起きてからある程度以上の被害を受けた所では、スーパーやコンビニなどで軒並み食料品が無くなっているそうです。日本全体が被害を受けたわけで無し、今更そんなに大量に買ってどうするのでしょうか。日本中で物資が無くなり飢餓状態になるとでも思うのでしょうか。自分に必要な分だけ購入し、残りは他の人のために買わない方がいいと思うんですがね。オイルショックのトイレットペーパーや2000年問題の時と重なって見えます、もう少し冷静になるべきでしょう。

●ただ言いたいだけの原発批判
福島原発で事故が発生しました。それに関してネットでは鬼の首を取ったかの騒ぎを起こしている人達がいます。原発は100%安全だなんて言っていた癖に大嘘だ!というものです。
何十年も前にマグニチュード9.0という地震に耐える炉を作り、現在も放射能が拡散しない様懸命の努力を続けている人達にもう少し配慮を持ってみたらいかがでしょう。まるでチェルノブイリ事故でも起きるかの様に喧伝して回る人達をみると、まるで本当にそんな大事故が起きて欲しいと願っている様に見えてしまいます。
今回の事故による死者はまだ出ていませんし、出たとしても年間の交通事故による死者数約5000人を上回る事は無いでしょう。彼らはいつ自動車廃絶を主張するのでしょうか。まるで子供がオモチャを触るが如く、被爆メルトダウンという言葉で危険な言葉遊びをするのはいかがなものかと思います。

世の中に絶対は無く100%という言葉の綾をつつくのもどうかと感じます。彼らは「誰が見ても面白い超大作!」というキャッチコピーの映画を見て、つまらなかったから料金を返せ、嘘を付いていたんだから当然だ、とでも言う気なのでしょうか。そもそもこういった言葉が出てくる背景には反対派の執拗な攻撃があるためでしょう。日本というのは潔癖過ぎる所があると思います。日本でもし原発がどんな事でも100%安全とは言い切れない、世の中には絶対は無いのだからなどと言おうものなら、何て無責任な奴らだ!と非難の声が上がるでしょう。現実に絶対は無いわけですから、しっかりと危険性も言及しておく事こそが責任ある態度ではないでしょうか。しかしそんな事を言うと原発嫌いな人達はそれみた事か、やはり原発は危険な物であり作るべきじゃないんだという極論を言い出すでしょう、この手の人達は二元論が大好きですから。そのため関係者などは彼らに促される形で100%などという無責任な事を言い出すのです。批判している人達は今までの自分達の言動を鑑みた主張をするべきではないでしょうか。

●表面をなぞるだけの慈善活動
ネット上では寄付を募ったり自分達にも出来る事があるはずだ、さあ立ち上がろう、そんな行動をよく見ます。しかし何か楽しんでいるというか、軽薄さを感じるのは私だけでしょうか。この手の活動は大抵自分が楽しめる所まではやり、飽きたり辛くなったり面倒になったりすると投げ出してしまうものです。慈善活動というのは最初は気分が良く楽しいものです、しかし浅はかで考え無しの行動は結果として混乱を生むだけでしょう。後になって楽しさ < 面倒くささになった時に止めてしまう位なら、最初からやらない方が良いのではないかと考えるのは、私の性格が歪んでいるからなのでしょうか。
電気の使用量を自分達も節約しようというのも、個人が使用する電力など全体で見れば微々たるものでしょう。これはエコバッグなどでもそうですが意味の無い事です。世界中の人間がジャンプをして地震を起こそうという類と同じで現実的な行動とは思えません。慈善活動を楽しむ分には楽だし手軽なのかもしれませんが。


こうして見ると、今回の地震発生によって起きた主張や行動は、まるで地震による不幸と混乱を増大させているかの様なものばかりです。いたずらに騒ぎ立てる位なら、ただ寝てる方が世の中のためになるのではないか、そう思うひねくれ者です。