dellblorin日記

袖擦り合うも他生の縁

わんちゃ利兵衛の旅 感想

本書は堀江利兵衛という、かつてテキヤとして茶碗売りをしていた老人の人生を記した本。元は1984年に出版され、40年の時を経て文庫本として復刊した。前半は利兵衛の回顧録で、後半は著者がその周辺の人々の取材を通して、テキヤ業界の内実(当時)が解説される。

本書には複数のバサ(口上)が紹介されているが長いため書かない。気になる人は本書を読んでいただきたい。ちなみに、現代日本人にとって最も知られたバサは映画「男はつらいよ」の寅さんのバサだろう。だが、あのバサはヤホン(古本)のバサであり、寅さんはどんなネタ(商品)でも同じバサを使うため考証に問題があるようである。本書に登場するテキヤ曰く、もうバサなんて20年前にやらなくなったという。最初の出版が1984年なので60年頃にはバサウチは終わっていたらしい。男はつらいよの第一作は1969年公開のため、その頃にはもうバサウチは多くの人にとって記憶の中の存在だったようである。

以下、印象に残った部分をメモする。

口上(バサ)の構成

バサにはダレ口上(前段)、コマセ(中段)、本バサ(後段)に大別できる。ダレ口上はつかみであり客の注目を集める部分。茶碗なら素地の白さや絵柄についての解説が挿入される。ネタ(商品)毎に別の口上がある。

コマセは特定の人(そこのお母さん等)に対して口説いていく。内容は場所ごと客ごとに変化し、簡単にすませる場合と執拗に口説き続ける場合がある。誰をコマセの対象にするかで、よく売れるかどうかが決まるという。

普通は買ってくれそうな女の客をコマセの相手に選ぶ。それには足元を見る。つま先が品物に向かって真っ直ぐに立って動かない人ならコマセやすい。所謂スケコマシの場合は、足を組んだり外したりして不安定な女性の方がコマセやすいという。しかし、バサウチの場合、足元の安定した女性の方がその可能性が高いという。小さな町や村でバサを打つ時は、その土地のボス的存在の女性をコマセの対象とする。女性特有の自尊心、虚栄心、名誉欲などを言葉巧みにくすぐるのだそうで、そのあたりの機微を感知する能力もバサウチには要求される。

本バサは客の気持ちが動きかけた時、すかさず値段を叩いて落としてゆく。そのため値段バサともいう。その時、頃良い間合いで手を叩く。そのパンパンという音が大きくはっきり響かなくてはならない。簡単なように思えても素人では及ばない。音を聞けば筋金入りのバサウチかどうか分かるという。手を叩く代わりに竹や鞭で箱を打つ方法もある。これを箱バサといい、以前はりんご箱がよく使われた。箱バサは九州方面のバサウチが多様し、バナナのたたき売りはこれを基調としている。

本バサの段階で客から「買った」という声がかからないと打ちにくい。それも、予め腹積もりにしている値段に近いところでの声でないと納めにくい。高い値段のところで声がかかればいいわけではない。高値が前例となれば後に続いて売れなくなる。客からまだ高い値段のところで「買った」と言われたら、「待った! 慌てる乞食は貰いが少ないぞ」などと返して、さらに値段を落としていく。

売れなかった時(声が掛からなかった時)は、そのネタ(商品)はひとまず流す。その時は「えらい渋いなあ、ここは貧乏村の空在府(空財布)か」などという捨て台詞を吐いておく。声が掛からないからといって黙って商品を片付けたのでは場が白けるし、捨て台詞で客の闘争心が喚起されれば次に繋げるだけ儲けものだからだ。ちなみに、予め決めていた売値に落としていくのをオトシマイをつけるといい、落とし前はこれが訛ったもの。

最後にアイキョー(愛嬌)を撒く。主に買った客に対する愛想だが、普通の商売と違い、必ずしも謝礼やお世辞を言うわけではない。どちらかといえば皮肉を込めて冷やかす。例として、燗徳利を買ってくれた婦人に対しては、「あんたは後家さんか、長い間本望をとげる機会がなかったろうが、たまにはこんなもんででも本望をとげてみねえ」など。それで客が湧けばしめたもの、客との気持ちの交流ができる。

皿数のごまかしの手口

昔の茶碗テキヤは皿などの数をごまかして(数枚少なくして)売っていた。例えば30枚売ったように見せかけて、後で数えると28枚しかないなど。

まず小皿を表に10枚等間隔に並べる。さらにその縁に重なるようにもう10枚を裏向きに並べる。皿が表と裏の2列となる。そしてバサを打ちながら脇からもう3枚を取って追加する。追加の仕方は整然と並んだ皿の上にガシャンと無造作に置く。さらにもう3枚をガシャンと加える。最初の20枚はすっかり崩れ、正確な数は判別不能となった。値段は20枚のまま据え置き、すかさずまだ買わんのかと今度は4枚をガシャーン。そこで「買った」と声が掛かり「売った」と応える。そこで即座に皿の下に敷いていた新聞紙で素早く包み客に押しやる。だが、家に帰って数えてみると28枚しかない。

テキヤは前掛けをして立て膝で座る。右手で追加する皿を持ち、投げるように荒っぽく置く。その瞬間、前掛けの下から左手を出して近くの皿を引く。前傾姿勢とガシャンという音がその動作を隠すことになる。これがタネだ。

昔はこういったごまかしがよく行われていた。そして客は今と違いそれを楽しむなど鷹揚なところがあった。茶碗屋の手品をどうしても見破ってやると、むきになって買い続ける客もいたという。買って数を数えて「またやられた」と言って溝の中に全部叩きつけてから「もういっぺんやってみてくれ」と、そんな客がいた時代だったという。だが、今(といっても1984年当時)の客は賢くなって、「わしらのやりとりをバカになって楽しんではくれんで...」という。

アキンドという言葉の由来

昔は漁村は魚を、農村は穀物を物々交換していた。海彦山彦の伝説もそれを物語っている。漁民は秋の収穫期になると海の幸を持って農村へ向かう。農村からすると秋に漁村からの交換人が多く巡ってくることになった。そこで、秋人(あきびと)という言葉がアキンドという呼称を生んだ、という説があるという。