dellblorin日記

袖擦り合うも他生の縁

青少年健全育成条例というものがなぜ出てきたのか?

東京都が主張する「東京都青少年の健全な育成に関する条例」に対する議論が喧しい。この条例の論理的欠陥や施行の根拠となる客観的データの乏しさなど、多くのウェブメディアでその荒唐無稽さが指摘されている。そのためここではこの条例の意味や価値ではなく、なぜこの様な条例が出てきたのか?そしてなぜ実現してしまうのかを考えてみたいと思う。

1 老人の嫉妬
老人は幸の薄い存在です。人生は残り少なく未来ある若者に嫉妬しています。性に関しても既にまともな性交渉が出来なくなっている。そういった嘆き不満悔しさが、性生活を謳歌する若者に対する怒り嫉みとなって八つ当たりをしているという事です。この辺から見ても老人の政治参加というのは極めて危険だと思います。若い世代はいずれ老人となるため老人差別的な政治決定に協力しないでしょうが、老人は二度と若者になる事はないため自分達の利益追求にのみ走る可能性があるからです。未成年は知能的な面から”未来に対する責任が持てない”として選挙権がありません。ならば老人からも選挙権を取り上げて構わない気もします、なぜなら残りの生涯の短さから老人達もまた”未来に対する責任が持てないから”です。

2 任期を終える政治家の暴走
政治家はその任期を終える時に、反対が多い議論の分かれる政策を強行する事があります。或る政策を何とか実現したいと政治家が思っていたとしても、世の中がノーと言っていれば実現出来ません。そのため基本的には行いませんが、自分の任期満了を迎える頃はもはや有権者の顔色を窺う必要が無いため、最後に身勝手な暴走を始めるのです。

3 政治家の得点稼ぎ
石原都知事は次期都知事選には立候補しないと言っていますが、それと同時に出馬も少し匂わせています。彼は失言が多く最近でも東京オリンピック誘致で消費した多額の税、新銀行東京での失敗における莫大な損失等色々あります。これらの失点を解消するために一般受けの良さそうな政策をやり始めたのかも知れません。

4 没落貴族の平民出の成功者にたいする嫉妬
文学を愛好する人達は自分達の事を貴族だと思っています。文学という歴史があり全ての芸術の根本を支えてきた文化と、それを愛好する自分達の価値に彼らは絶対的な自信を持っているのです。しかし世の中ではその文学という輝かしい貴族よりも、漫画という劣等で下品な平民出のスターが人気者になっています。選民意識のある彼らには耐え難い屈辱です。
これは何も文学にだけ言える事ではなく、伝統や格式があり且つ現在不人気の全ての文化に言える事です。文学は現代でも十分に検討しているので没落貴族は言い過ぎかも知れませんが、若者世代(それよりもう少し上も?)において漫画に購読者を”怒りを覚えるほど”奪われたのは事実でしょう。日本中にはそういった文化的没落貴族達が沢山います、彼らから見たら漫画は平民上がりの成金にしか見えません。漫画という成金規制は彼ら没落貴族のルサンチマンを満足させるのです。そういえば都知事も副都知事も貴族出の方々でしたね。

5 精神安定のための悪魔払い
人は時として全く効果の無い行為をする事があります。数年前、秋葉原で連続殺傷事件が発生しました。犯人はトラックで歩行者天国に突っ込みダガーナイフで多くの人を斬りつけたのです。その後このダガーナイフが悪者となりダガーナイフを規制しろの大合唱となりました。

しかしそんな規制に意味が無い事は明白です。犯人は人を切りつけて殺そうと思っていたわけですから、ダガーナイフが買えなければ包丁で実行したでしょうし、単純に殺人が目的ならば刃物が世の中から無くなっても、その辺の石を拾って他人の頭を殴打したでしょう。この手の規制は単なる”悪魔払い”に過ぎません。事件が起き多くの人達は得たいの知れない不安感を感じていたのでしょう。
「怖い、何でこんな事件が起きたんだ、原因はなんだ、使われた凶器はダガーナイフ?、よしそれを規制するんだ。」
こういう単純な図式に走る事によって、自分の胸の奥から湧いてくる不安感を抑えたいわけです。心霊や悪霊の類を怖がり、家にお払いをする人間の様に。
今回の漫画規制も同じ事が言えます。今日本という国は政治、教育、経済と様々な要素により不安になっています。多くの人が何かにすがり、根拠無き安心感を感じたいと願っているのでしょう。太古の人々が天候不順に恐怖し神に生け贄を捧げた様に、現代ではその生け贄に最も価値の低く見られている漫画が選ばれたのです。

6 独善者が日本では多数派
世の中には自分の好みか好みでないかを、優れているか劣っているかにすり替える人間がいます。これはその個人の独善に過ぎませんが、その数が多くなれば民意になります。身勝手ではありますが世の中には自分の価値観や趣味嗜好を絶対視するタイプがおり、善悪の決定にはそれだけで十分でそれ以外の物差しは必要無いと信じて疑いません。彼らにとって善悪は自分の好みで決まるものであり、そぐわなければ全部悪なのです。
独善的である事自体は問題ではありませんが、それを他人に強要してくるとなると問題です、しかし本来問題になるはずの行為もそれが多数派ならば正論となってしまいます。つまり何が言いたいかと言うと、流行ってる流行ってると言われても所詮漫画はマイノリティだったという事です、そしてマイノリティはいつの時代も言われ無き差別を受けるものなのです。


恐らく賛成派の人々は「おい、肝心な『親や大人など社会が子供の健全な育成を願っている』という理由が抜けているじゃないか」と怒り出すかも知れませんが、その「親や大人など社会が子供の健全な育成を願っている」という理由を個人的に分解してみた結果が上記の理由となったのです。異論は当然あるでしょうが、単に私にはこう見えたというだけの話です。あしからず。