dellblorin日記

袖擦り合うも他生の縁

笑い控えめで面白い

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最近のお菓子は甘さ控えめが売りだ。甘党の自分からすれば物足りず、それならお菓子以外を食べればいいだろうといつも思う。甘さ控えめなんてお笑いでいえば笑い控えめで面白いと言ってるのと同じだ。そう思った時、ふと「笑い控えめで面白い」は正しいかもしれないと考えた。

日本は東アジアでは珍しく甘党の国であり、昔から菓子は甘ければ甘いほどよいとされてきた。江戸時代はその全盛期で少しでも辛いと不味いとされたし、甘味至上主義は戦後間もない頃まで続いた。ここ数十年甘さ控えめがもてはやされるようになったのは、砂糖の健康リスクの認知と長寿命となり将来の健康に対する関心が高まったのが原因と思う。

翻って笑いに関してだが、昔「踊るさんま御殿」という番組が始まって数回目の時に視聴したことがある。この時の印象が「しつこい」だった。司会の明石家さんまがなんにでも茶々を入れ話が全く進まない。しつこ過ぎて疲れて見る気がなくなったのを覚えている。

最近テレビは視聴率低下に苦しんでおり、それはバラエティ全盛である現代ではお笑い不振ということである。事実、ここ数年のテレビ番組はクイズ番組などが増え典型的なお笑い番組が減少しているという。要は今のお笑いがつまらないと視聴者に判断されているのだ。私はこの原因を笑い過多が原因ではないかと思う。

芸能界のヒエラルキーでお笑い芸人が頂点に君臨していることは間違いない。お笑い番組ではひな壇に座らされた大勢のお笑い芸人が、番組開始と同時に間断なく笑いを取り続ける。

世間はお笑いを求め、制作側はそれに応え番組をお笑いに先鋭化した。結果、過剰に詰め込まれた"笑い"に視聴者は疲弊したのではないだろうか。どんなものでも流行ると集中的に提供され加速し過剰になり、そして反発が起きて折り返す。

現在のテレビ番組が1分あたり平均何個の笑いを提供しているか分からないが、笑いが稠密で視聴者は食傷を起こしているのではないか、そんな気がする。

ネットで最近人気のテレビ番組が話題になることがあるが、孤独のグルメとか池の水抜いてみましたなど、コテコテのお笑い番組以外が取り上げられることが多い。そういった一風変わった番組が流行るのも前述した理由からなのではと思わなくもない。

今は「笑い控えめで面白い」、そんな時代なのかもしれない。