dellblorin日記

袖擦り合うも他生の縁

ニュースの価値は誰にでも同じなのか?

ネットを徘徊していると、最近のテレビ報道はどうしようもないという論調を見掛ける事が多くなりました。例えば芸能人のゴシップだとか政治家の些細な言い間違いだとか、そういったどうでもいいニュースばかり流して、もっと重要な本当に流すべきニュースを流していないという批判です。

一見もっともな意見ですが私は疑問も感じます。本当に流すべきニュースって何? という疑問です。

例えば中東でテロが起きた等の世界情勢や国内政治の重要法案の可決など、流すべきニュースとはこういった事でしょうか。この手のニュースをどうでもいいニュースという人はいないでしょうが、そもそも何を持って重要な情報、どうでもいい情報と決めるのでしょうか。

よく「こんなくだらないニュースを見て喜んでるのは主婦だけだ」という内容を読むのですが、主婦にとって中東問題など知った所で何か役に立つでしょうか?

直接何の関係も無いのだから知った所で意味など無いでしょう。そんな事より今日の近所のスーパーでは何が安売りか、という情報の方が主婦からしたらずっと重要な情報になるはずです。

全てのニュースは遠因として我々の生活に影響を及ぼす(石油が上がって商品価格が上がるなど)にしても、それを自分の鶴の一声で覆せるというわけでもなく、大抵自分が賛成しようが反対しようが何の影響もありません。

だったらそんな無意味なニュースを聞かされるよりも、自分の好きな芸能人の結婚だ離婚だみたいな話の方が楽しいし、娯楽という意味で役に立っているのではないでしょうか。

ニュースの価値を受け手に対する影響力(受ける影響と自分で及ぼせる影響の大小)と定義すれば、主婦にとって流すべきニュースとは芸能人のゴシップや油汚れの上手い落とし方や安売り情報であり、中東問題や政治問題など彼女達にはどうにもならないのですから意味が無いのです。