dellblorin日記

袖擦り合うも他生の縁

幻の近代アイドル史と松旭斎天勝


日本のアイドルを「若い男性を中心に、大衆が熱狂的に支持する人物」という定義のもと、明治時代まで遡った書籍。本書のレビューには明日待子(表紙の写真の人物)を取り上げるものが多い。戦争に絡めたエピソードや出版当時、本人が存命だったのもあったかもしれない。ちなみに97歳でテレビ番組「バク報フライデー」に出演している。

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だが、私が最も興味を引かれたのは女流奇術師・松旭斎天勝(しょうきょくさいてんかつ)である。大正7年に雑誌「女の世界」の推奨すべき新しい女という読者投票で、松井須磨子、森律子と並んで松旭斎天勝が選ばれている。当時の人気は天勝が一番だったらしい。

松旭斎天勝のサロメ

天勝の人気は何といってもその容姿の良さで、「美人」「愛嬌がある」「肉感的」「ひそかに人魚の肉を食べている」と表現されている。天勝は美人だが頭は悪いという評価がされていたようだが、彼女のエピソードを見ると賢く逞しいのが分かる。天勝は雑誌で「男を喜ばす手品的操縦法」と題してこう語っている。

之は術という程の事もありますまいが、ただ眼と眼と合いさえすればそれでよいとはいえませんの。先ず妾(わたし)の方からアノ人と目星をつけた方を、演芸中に凝っと注目するのです。(中略)処女が秋波を送る様な風に顔面も挙動も普通にして、それに少し真面目という様な気分を加えて、注目した方が一層効果がある様です。こうすれば、此方の注目が浮薄なものでなくて誠実なものだという事が先方に通じるわけなんですの。そうして、此の注目を二回続ける所に妙味があるんです。最初の一回でも(中略)まだ先方の心を奪ってしまうことは出来ません。
第二回目に今度は、奇術の種類に依って、観客席から何かを拝借物を致します時に、それをお貸し下さるお客様の方へ歩を進めながら、視線を先方の顔へ注ぐのです。(中略)こうなるともう占めたもので、先方では「は丶ア、彼女俺に意(こころ)があるんだね」と思い込んでしまいなさるのです。そうして其翌日も其翌々日も、同じ桟敷に来て見物して下さる様になるのです。(女の世界・大正4年5月)

さらに天勝の舞台を見た者の多くが、天勝が笑うと口元がキラキラと光ったと印象深く語っている。実は天勝は欧米巡業した際、実際に義歯にダイヤを入れていたというのだから恐れ入る。

彼女は自分の人気がその容姿と肉体にあることをはっきり自覚しておりそれを存分に活用した。さらに天勝一座の若い女弟子にもセクシーさを求めた。これについて天勝はこう語っている。

男の方で、ほんとに演技を観るために演技場にお入りになる方が幾人ありましょう。技術上の事をお尋ねしても一向解っていなさらない方が多う御座います。その癖大抵の方が、女弟子の名前や顔はよく覚えていらっしゃいます。こんな塩梅ですから、万事色気のタップリあるのが大いに受けるわけですの。(女の世界・大正4年5月)

さらに天勝は広告女王であり様々な商品とタイアップしている。インタビュー等でも全然違うことを聞かれていたのに、途中からタイアップしている商品の宣伝にすり替わったりする。

天勝はスキャンダル女王でもあり、多くのゴシップ記事が書かれたようだ。40を過ぎた天勝は「婦人公論」で自分の男性遍歴を赤裸々に告白する「天勝恋ざんげ」という連載を行う。その中には伊藤博文など大物政治家の名前が沢山登場する。今でも往年の有名女優が男性遍歴などの暴露本を出版したりするが、天勝はこの時期すでに先鞭をつけている。

松旭斎天勝は10代初めに人気アイドルになった。ほとんどのアイドルはその後良くて結婚引退、大抵は短い絶頂期を経験した後、長い不人気時代が続くだけだ。だが天勝は持ち前の利に聡い賢さと私生活さえネタとして提供する逞しさで、引退する50歳まで第一線で活躍し続けた。だが今や彼女の名は忘れられている。そう考えると松旭斎天勝こそ、書名通り幻の近代アイドルと言えるだろう。